【1分雑学】戦争の天才、石原莞爾のすごさとは?

出典:毎日新聞社『一億人の昭和史 1930年』(1934年頃の写真)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)


みなさんこんにちは。
同じようなことの繰り返しの毎日に、ちょっとしたコーヒーブレイクと刺激の時間を。ここは1分雑学のページです。

今回は、日本史を少しかじったことのある人なら名前くらいは聞いたことのある人物、石原莞爾についてです。彼は、圧倒的な数的不利を覆したことから戦争の天才と呼ばれています。ここでは、なぜ彼がそう呼ばれるのかについて記します。

ようこそ、「よりみち」の世界へ。

石原莞爾の根底にあるもの

天才とはいえ、そう呼ばれるには相応の基礎があるはずです。本題に入る前にそれを軽く見ましょう。

石原は学生時代、とても優秀な成績を修めました。21期生として陸軍士官学校を、30期生として陸軍大学校を卒業しました。陸軍士官学校時代、彼は教科書に沿った勉強をただ漠然と行うのではなく、そこで記述されていることの本質を見抜くようにして学ぶ姿勢を貫いていました。彼は、「上官が言うから正しい」と考えるのではなく、「論理的に考えて整合性がとれるから正しい」と考えていたのです。その結果、彼には独創的な戦術思想が備わりました。これが「戦争の天才」の基礎となったのです。また陸軍大学校時代、ドイツへ留学をしていた時期を通して、戦略や戦術史について深く勉強し、独創的な作戦構築の基礎を確立させました。

「戦争の天才」と呼ばれるゆえんとなった柳条湖事件

では、石原が「戦争の天才」と呼ばれる所以となった柳条湖事件について見ていきましょう。柳条湖事件とは、簡単に言うと日本が満州を獲得するきっかけとなった事件です。

当時、日本はロシアの南下政策(貿易を一年間通して円滑に行うために、戦争で領土を奪ってまで不凍港を獲得しようとした政策)を恐れていたため、日本との距離の近い満州がロシアの手に落ちることは、絶対に避けなくてはなりませんでした。また、当時満州一帯の地域は、中国政府の手が行き届いておらず情勢が不安定で、ロシアが進出しやすい状況でした。

ロシアの進出を未然に防ぐため、石原は満州を獲得し、現状よりも強固な対露防衛網を敷こうと試みました。しかし、当時現地にいた日本兵は約1万人中国軍は約23万人と圧倒的に不利な状況でした。そんな状況を打開するため、石原は電撃作戦(速攻で陥落させる作戦)を構築し、実行しました。ここで重要なのは、機動性指揮系統の崩壊心理的優位です。

石原は南満州鉄道を利用することで戦地に素早く兵を送り込むことで、戦地に敵兵が集結する前に陥落させました。これが機動性です。これを同時多発的に実行することで、敵兵を混乱させました。

また、同時多発的な攻撃の一つに敵本部も標的にしました。こうすることで、敵の指揮官がいなくなってしまうので、指揮系統が崩壊します。このときに、通信インフラも合わせて占拠し、情報が各地へ行き渡らないようにしました。

機動的かつ同時多発的な攻撃、指揮系統の崩壊が起きると敵兵は精神的にどうなるか?それは、圧倒的な敗北感を植え付けられます。各地が続々と、しかもあっさりと陥落する様を見せつけられれば、そうなるのも当然です。こうして戦意を喪失させ、心理的な優位を確立しました。

その結果、圧倒的な兵力の不利がありながらも、日本は満州を獲得することができました。この功績を賞して、石原莞爾は「戦争の天才」と呼ばれるようになったのです。

まとめ

ここまで、石原莞爾について記してきましたが、いかがでしたでしょうか。

これ以外にもサクッと読める雑学を、ジャンルを問わず多数紹介していますのでぜひ、他のものにも「よりみち」していってくださいね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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